2000年帰国。
名古屋の実家で悶々とながらの大学生活。
なんのテレビ番組を見ていたか思い出せないけどテレビは付いていた。
昔の友人から連絡がきてワールドトレードセンターが崩壊している。
当時僕たちは、そのそばの語学学校に通っていた。
ワールドトレードセンターまで歩いて3分くらいのとこだった。
たくさんの人々が亡くなり、また友人の消防士も亡くなった。
なんでかは分からないけど、そう、正確に表現するなら
何かが違うけどその角度なのか、その直線なのか、その重量なのか原因が
分からない状況で彷徨い、けれども的を射抜くなら何か雰囲気が違った。というのが
一番適切な表現かもしれなかった。
そういうわけで、花の大学生活とよべる生活には程遠く
毎日を浪費している感覚さえなり「なぜか」淀んだ日々だった。
僕の通っていた学校は東京の上智大学との姉妹校なので
年数回上智大学との交流もあった。
それで東京に行こうかと思っていたのだけれど、
その時は東京コンプレックスみたいのもあったし
(いわゆる東京にちょっと嫉妬する感覚みたいな、、、。)
どうせならロンドンかニューヨークだ!意気込みを友人と語った思い出がある。
そこで今でも仲の良い友人と1週間ニューヨークに旅行に行った。
そこは、なんだろう。
街に刺激があるとはよく言ったもので、まさにそこは世界に中心ってやつだった。
人種のルツボ。
でかいネズミが地下鉄を走り、なんとも言えない臭いの車内。
ラジカセを肩に担ぎ乗車して、ピザを食べながら、あるいはダンスしている乗客。
あ、いっそのことこんな世界に行ってみよう。
その半年くらい先、学生ビザをもってジョンエフケネディ空港に来ていた。
当初の住まいはUPtownのレキシントンアベニュー沿い。
「manhattan」この英語(発音)がタクシードライバーに通じない。
雪の降る日だった。笑。
それから1年住んでいた。
manhattan/Queens/Brooklynと住まいを変えた(よく住まいを変えるなぁ)
たくさんの友人と出会って、たくさんの別れがあった。
みんな元気にしてるかなぁ。
そんなこんなで、混沌とした環境をまるでステージの幕が一気に降ろされたように、
目の前の人生と人間関をが目まぐるしく変えてくれた街。
それが良かったのか、悪かったのか、あるいはその中間なのかは今でも分からないけれど。
一昨日友人と電話で夜長電話をしていて、もう20年だな。としみじみ振り替えった。
その多くの友達は、みんな個人事業主や会社を起こして活動している。
まぁ、平たく言えば「そういうことなんだろう」
そして今、僕もその状況にいる。
「会社で働くのは無理だよ。その性格では笑」
世田谷の友達が言った。
あるいは、そうかもしれないね。
そんなこんなで、僕はとても悲しいし、早くニューヨークのグランドゼロに行ってみたい。セントラルパークを散歩する。ピザとコーラをもって。
昔話とこれからの話。
そんな昼下がりに期待して。