僕たちの夏へ。

忙しくすることはいいことだな、と思ったり。

人のことを気にする暇がないし、悩みとかを悩んでいる時間がない。

それはそれでいいのだけれど、ふと、空いた時間にいろんなことを考えてしまう。

 

例えば、それは名古屋走りをすると都内で違反で捕まるとか、

虫が多いところに蜘蛛の巣がたくさんあるとか、

あるいは、今日の夕ご飯何にしよう?とか。

そんな日常だったり。

切っても切れないお金を管理したり、首都高で紙の領収書が吹き飛ばされたり、

未来の売掛金を想像してニコニコしたり、

逆に支払い金額に青ざめて何度も預金残高を確認したり。

 

振り返れば1年前の悩みと、今の悩みが全く異なっている。

だからそれらは有機的に結びついているのかもしれないけれど、

どこか疎遠で、たった1年という歳月が最も簡単にその悩み同士を切り離してしまう。

それはキレる爪切りで爪を切ってしまったあとのように。

 

だからというわけではないのだけれど、きっとそんな程度なんだと思う。

 

僕たちはいろんな角度からいろんなストレスを受けている。

PM2.5がその日濃いのか薄いのかの違いと同じように。

 

井戸の中でしばらく暮らしていると目が慣れてくる。

そんなに悪い井戸じゃなかった気がする。

それはとても孤独を感じることのできる空間だったし

今でもジメジメした湿度に気を病んでしまう。

 

きっといつかそんなことも忘れてしまって、何もなかったように

僕たちは歩んでいくんだろうと思う。

 

零戦が空を飛ぶ。

 

そんな時代じゃないけれど、山下達郎さんの良い歌を久しぶりに聞く。

この梅雨時期になると祖父の顔を思い出す。

 

終戦の日が近づく。

 

そう思うと、全く比較対象にはならないのだけれど僕の悩みやストレスなんて

取るに足らない、あるいは役に立たない悩みなんだな、と歴史を読むと

いつもそう思わせてくれる。

 

きっと大丈夫。

僕のせいでも、僕たちのせいでもない。

誰のせいでもない。

 

また夏が来ますね。